イエス様ご復活のお祝を申し上げます。

牧師 サムエル 輿石 勇

イエス様のご復活は教会の信仰の中心をなすものです。「それだけに」というべきか、
「それにもかかわらず」というべきか、
イエス様のご復活を明確な言葉で説明するのは容易なことではありません。
イエス様の復活とはどのようなことかを知るために、
新約聖書にある四つの福音書の中で最も古いとされるマルコによる福音書が
どのようにそれについて語るのか見ることにしましょう。

その15章によれば、イエス様は過ぎ越し祭の前日、すなわち、
金曜日に十字架上で殺されました。
その日の夕方、アリマタヤのヨセフという人が、総督ピラトの許可をえて、
ご遺体を引き取って「岩を掘って作った墓に納め、その入り口に石を転がして」おきました。


続いて16章は、週の初めの日の早朝、
三人の女性が香料をイエス様のご遺体に塗るために墓に行きました。
墓の入り口に転がしてある石をどうするのか心配していたところ、
墓に来ると石はどけてあり入り口から入ることができました。
そこには白衣を着た若者がおり、「ナザレのイエスは復活なさって、ここにはおられない。
さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。
『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。
かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」と女性たちに告げたのでした。
女性たちは「震え上がり、正気を失って」おり、
「誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」と、この話は結ばれています。


福音記者マルコのこの話では、神の使いらしい白衣の若者の言葉に逆らって、
女性たちは「誰にも何も言わなかった」のですから、
女性たちもその他の弟子たちも復活のイエス様を目撃していないのです。
ということは、福音記者マルコにとっては、エルサレムの権力者たちがイエス様の口を塞ぎ、
排除するのに成功したはずなのに、イエス様は閉じ込められた墓に
静かに休んではおられなかったことが重要だったということなのではないでしょうか。
想像をたくましくすれば、そうやって自分に不都合な者を
力で押しつぶすような権力者エルサレムが逆にその存在そのものを否定された
ということにつながるかも知れません。

ルカによる福音書
1941節以下には、イエス様がエルサレムに近づいた時
その都のために泣いて、「もしこの日に、お前も平和への道をとわきまえていたなら。
しかし今は、それがお前には見えない」と言われた、という記事があります。
これは、初期の教会に伝承された、イエス様のエルサレム観を示しているとも考えられます。


おそらく、ガリラヤに戻った弟子たちは、すでにそこにおられたイエス様に出会ったのかも知れません。
それは、イエス様がご自分の命を棄ててまで明らかになさろうとした
「平和への道を求め歩むことが人々に神がお求めになることだ」というメッセージとの
出会いだったと言えるのではないでしょうか。
川越キリスト教会の玄関を入ってすぐの正面の掲示板の上に、
「平和は聖公会の仕事―アメリカ聖公会」というステッカーが貼ってあります。
これこそ、弟子たちが再び出会った、抹殺されたはずの、イエス様のメッセージなのではないでしょうか。