謙遜な姿でおいでになった平和の主     
 
    1113日にパリで起きた連続テロ事件はまだメディアの大きな話題として扱われています。
   
   この事件は、
2011126日に始まったシリア内戦との関連で生じたことは疑いありませんが、
   第一次世界大戦にまでさかのぼる、ヨーロッパ諸国による
   中東の帝国主義的な支配という歴史をも見過ごしにすべきではないのではないでしょうか。


   大統領のアサドさんが属するイスラム教のアラウィー派はシーア派の一部だそうですが、
   シリアでは人口の一割を占めるだけの少数派だそうです。
   この人々は第一次世界大戦の頃はスンナ(スンニ)派が支配する当時のシリアでは
   被支配者だったと言われています。
   
   それが支配権を獲得するようになったのは、まさに第一次世界大戦の結果、
  (オスマン・トルコと戦ったイギリス、フランス、ロシアの)戦勝国が、
   勝後のヴェルサイユ条約によって、オスマン・トルコ領であったシリアは
   フランスの国際連盟の委任統治国と定めた結果でした。
   
   フランスのシリア軍創設に際して兵士に応募したのが主としてアラウィー派の人々だったそうです。
   そのため彼らが第二次大戦後軍事的な指導権を握ることになったのだそうです。


   また、パリで起きた今回の事件には
    ISIL というグループのシリア内戦への介入が深く関係しています。
   このグループは、
20033月にアメリカと他の二か国によって始められた
   いわゆる「イラク戦争」の結果、壊滅させられた旧フセイン派の軍人たちによって
   形成されたことも明らかにされています。
  
  「イラク戦争」も軍事力によって他国を制圧するという帝国主義的支配に他なりません。

    シリアの内戦に関して言えば、
   シリアに逃れたパレスチナ難民が政府軍と反政府軍に分かれて戦っていることも
   報じられています。

   イスラエル人をパレスチナ人の地に居住させることを認めたのは、
   ヴェルサイユ条約によりパレスチナやアラブ地域の委任統治を引き受けた英国の
   決断であったことにも目を向けておきたいと思います。

  帝国主義は、全ての人が神に創られたという聖書の信仰の否定の上に成り立っています。
   つまり、強い者たちが弱い者たちを支配するのは当然だというのが帝国主義の前提です。
   それは、正義や公平に扱われる権利はただ強い者にだけ認められるという考え方に立ちます。

   戦いの中を逃げまどい、肉親を無差別爆撃で殺され、農地を破壊されるなどして受けた、恐怖、
   嘆き、悲しみ、苦痛、飢え、恥辱、不安にさらされる人々は、食事や雨露をしのぐ場所が
   提供されたとしても、寄り添ってくれる人もないまま放置されます。

  帝国主義は、
   一言で言えば、このように人間が人間を人間として扱わない生き方のことだと
   言うことができるのではないでしょうか。
   その意味で、帝国主義は今も続いており、過去のことではなく、
   私たちも「非人間的処遇」に対する責任を問われることになるのではないでしょうか。


   私たちが救い主と信ずるイエス=キリストは、「謙遜な姿で」私たちの間においでになりました。
   謙遜という表現の中身は、人の声に耳を傾け、共感するということなのではないでしょうか。
   それが、暴力への誘惑を乗り越える確かな方法ではないでしょうか。
   それが、人間が人間に向き合うことだからです。
  「謙遜な姿で」私たちの間に来られた主イエス=キリストを感謝と喜びをもってお迎えしたいものです。