教会問答について               
   
                          (3)
  

  私たちの『教会問答』の第五番目の項は「罪と救い」と題されており、
  その項の問答28には「私たちを罪から救う方」が「メシア」であると述べられています。
  私たちの『教会問答』は、再三申し上げますが、祈祷書のページ数の制約のために、
  甚だしく説明を省いております。そういうわけですので、『教会問答』をめぐる
  第3回目のお話では「メシアが救い主とされるのはなぜか」ということについて
  少し丁寧に見ておきたいと思います

  皆様は「メシア」という言葉が「油を塗られた者」という意味のヘブライ語であることを
  ご存じだと思います。日本語では口語訳も新共同訳も「油注がれた者」という
  訳語を用いています。余計なことかも知れませんが、「注ぐ」という日本語は「流す」という
  ニュアンスの強い言葉ですので、ちょっと難しくて古臭い言葉ですが「受膏者」というのが
  適切ではないかと思います。また、「油を注ぐ」という行為は、
  祈祷書の病者訪問式にある「塗油」と表現する方がより実際的ではないかと思います。


  いずれにいたしましても、「誰かに油を塗る」という儀式は、
  エジプトの大王がある人を特別な役職に任命する時に行ったことが古文書に
  記録されているそうです。その他にも塗油が儀式として行われた例はヒッタイトに見られることが
  古代の記録に認められるそうです。古代イスラエルの文献であります旧約聖書では、
  この塗油という儀式によって、油を塗られた者=受膏者は、神から人間の能力を越えた力を授かり、
  職務執行のために神の特別な加護を約束されて王となると考えられておりました。

  旧約聖書には、神に指定された人に、預言者や祭司が「油を塗って」王に任職したという
  記事がたくさん出てきます。イスラエルで最も理想とされ、また最初の王とされるダビデは、
  サムエルによって塗油され王となりました(サムエル上101
  また、ダビデの後継者であるソロモンは、祭司ツァドクと預言者ナタンによって
  塗油され王とされたのでした(王上13439

  このように塗油を介して結ばれる王と神との関係は、『詩編』の中の、
  いわゆる「王の詩編」に一貫して認められます。例えば、詩編18編の51節は

  「主は勝利を与えて王を大いなる者とし
メシアを、ダビデとその子孫をとこしえまで 
  慈しみのうちにおかれる」
と歌っています。これは、油を塗ることによって
  ダビデ王に偉業を成し遂げさせた神への讃美の歌でありました。

  しかし、旧約聖書にはこのような神への讃美とは別の流れが認められることにも
  触れておかなければなりません。例えば、サムエル記上8章には、
  未だ王を持たなかったイスラエルの民がサムエルに、後継者としては不適格な息子しか
  持たないサウルに代わり、また、これまでの制度に代えてイスラエルに
  王制度を樹立するよう要求したという話しが出て来ます。
  

  それに対するサムエルの答えは否定的なものでした。つまり、王制度は徴兵制を敷き、
  男女を問わず軍務のために使役させ、職業軍人に国民の土地や農産物を優先的に分配して、
  国民を奴隷化し、国民は最終的に王のゆえに泣き叫ぶことになる、というのです。
  この記事は、エジプトを脱出してカナンの北部に定住した人びとと、
  王制度を伝統として持っていたエルサレムの人びととの信仰的な対立を示すものと言うことができます。

  例えば、エルサレムの王であったダビデがイスラエルの王に即位するに際して、
  おそらくエルサレムを除く、イスラエルの民がサムエルのところにやって来ます。
  それは、サムエルを介して霊的な仕方で選任された指導者の体制では、
  もはやイスラエルは外交的な決断ができなくなってきたということを意味しています。
  こうして、サムエルがエルサレムの伝統に従ってダビデに塗油して、
  まさにメシアとして即位させることになったのでした。

  しかし、ダビデの後継者であるソロモンに塗油したのはもとエブス人に由来する
  エルサレムの伝統的祭司ザドクと、おそらく宮廷預言者であったナタンです。
  この時代にはエルサレム神殿はエブス人に由来する伝統に支配されていたものと思われます。
  「わたしの言葉に従ってあなたはとこしえの祭司メルキゼデク(わたしの正しい王)」
  というおそらく王の即位の式と関連する定型が詩編110編に出て来ますが、
  この起源は、ソロモン期あるいはそれ以前にまで遡りうるものかも知れません。

  しかし、ダビデとソロモンが王となって統一イスラエルを維持できたのは100年に満たない時間に
  過ぎませんでした。ソロモンの子レハベアムの時(前922年)イスラエル王国と
  ユダ王国との分裂が生じました。イスラエル王国はその約200年後にアッシリアに滅亡させられました。
  アッシリア滅亡後旧イスラエル国民のある部分はユダに逃げ、その信仰伝承を
  持ちこんだと言われます。それから約130年後にユダ王国はバビロニアに滅ぼされることになりました。
  

  その結果、ダビデの子孫である王やその一族など、エルサレムの主だった人びとが虜囚として
  バビロニアに強制連行されました。捕囚期と呼ばれる約50年の間、
  バビロニアに連行されたエルサレムの人びとは、自分たちが捕囚とされているという
  現実を深く問うよう強いられたことでありましょう。アブラハムやダビデに対する子孫繁栄の約束を
  実現なさらなかった神は「義(ツァドク)」なのだろうかと繰り返し問うたことでありましょう。
  

  このような、問いに向き合った捕囚の民の中から、エブス人に由来するエルサレムの伝承を
  解釈し直す動きが生じました。丁度、本日の旧約聖書の日課であるアモス書6章にありますように、
  王たちは、「シオンに安住し、サマリアの山で安逸をむさぼる者ら」であり、
  「災いの日を遠ざけようとして 不法による支配を引き寄せている」者であったことを、
  捕囚の民も認識するようになったのではないでしょうか。
  

  つまり、王も民も従来エルサレムで軽視されてきた、ヤハウェとの契約に基づく法に注目することを
  喚起されたということができると思います。イスラエルの歴史に現れた王の多くは、
  このような、アモスによれば「不法を引き寄せている」メシアであり、
  そのためにイスラエルは捕囚にいたったのだと、捕囚の民も受け止めるようになったということが
  できるのではないでしょうか。こうして、敬虔派と呼ばれるイスラエルの一群の人びとは
  儀式的に正しく即位すること、特に塗油が王としての適格性を保証するものではないことを
  知るようになったのではないかと思います。
  

  その結果、エルサレムの聖所に由来する
  メシアについてのヤハウェの約束をめぐる伝承は、「永遠性」に強調点が置かれ、
  やがて神の派遣したもうメシアが来るという待望に変えられることになったと言うことが
  できると思います。こうして、『教会問答』の28番、30番などにあるように、
  受膏者メシアと救い主(ギリシャ語のクリストス)とが結びついたのではないでしょうか。

  塗油に象徴される、王の即位の儀式が王の質を保証しないことを
  イスラエルの民は、特に捕囚体験を通して、受け止めたことについて、
  先程申し上げました。王の即位ばかりではなく、祭儀全般に対する
  イスラエルの敬虔な人びとの不信が捕囚以後強まったのですが、
  それにつきましては、また来週お話申し上げることにいたしましょう。