教会問答について        
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   新約聖書の重要な証言の一つが、復活の主から聖霊を受けて、
  教会は主イエスの十字架と復活、罪の赦しのための悔い改めと洗礼を宣べ伝えるために、
  世界の隅々にまで派遣されたというであるのを前回確認いたしました。

  こうした証言そのものが、洗礼を受けて新たに教会の一員になる人びとの教育のために
  用いられたことは当然のことでありました。
  さらに、教会は復活の主に派遣された時から、ユダヤ教に対して、
  彼らと自分たちの違いを言葉で説明することが求められていました。
  教会は最初から、聖霊の導きを受けつつ、このような二重の課題を
  担ってきたということができると思います。 


  私が使っております教会の歴史年表によりますと、
  主イエスが十字架におかかりになってから数年後の紀元
30年には
  キリスト教会が誕生したとされています。
  同じ年にステパノが殉教し、
32年にはパウロが回心したとされています。
  パウロが伝道旅行に出かけるのは
47年から56年にかけてのことであったとされています。
  また、
64年頃にはペテロとパウロが殉教したと考えられています。

  パウロの伝道旅行の時期にはテサロニケ人、コリント人、ガラテヤ人、
  ローマ人宛ての手紙が書かれています。今日の使徒書であるテモテの手紙で、
  パウロは死期が近いと述べていますから、丁度その頃だったでしょうか。
  

  また、紀元
100年までには四つの福音書が書かれていますので、
  その頃には新約聖書の中身が完成していたと考えられます。
  したがいまして、キリスト教信仰を箇条書きにしたものが
  その頃には出来ていたと考えるのは当然のことではないかと思います。
  このような信仰箇条の古いものの一つは次のようになっています。
  祈祷書のものとは違いますが
  どうぞ祈祷書
30頁の使徒信経をご覧頂きながら、お聞き頂きたいと存じます。

   (一)我は(創造者なる)全能の父なる神を信ず。
(二)我はまたその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず、
(三)主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
(四)ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、(五)三日目によみがえり、
(六)天にのぼり、
(七)父なる神の右に座したまえり、
(八)かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。
(九)我は聖霊を信ず、
(十)聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
(十一)罪の赦し、
(十二)身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。

  見事に12という数の信仰箇条からなっておりますが、
  それが
12使徒の合作として使徒という名前がつけられた理由だという説もあるようです。
  現行の使徒信経とほぼ同じものが、二世紀には用いられていたことを疑う理由はありません。
  現行の使徒信経は「創造者である父なる神とその子主イエスと聖霊を信ずる」として、
  三位一体の神への信仰をはっきりと告白しています。
  それは、三位一体信仰を否定するグノーシス主義が紀元
130年頃に
  盛んになったことと関係しているのは明らかです。

  グノーシス主義というのは、当時のギリシアで影響力をもった、
  霊と肉とを対立的に捉える思想と言うことができると思います。
  非常に簡単に言えば、「見えるもの」つまり肉体的なものは、
  「見えないもの」つまり霊的なものの影に過ぎず、霊的な次元に達しなければ
  人間は自由になれないといった主張だと言えるのではないでしょうか。
  いずれにいたしましても、このようなグノーシス的な考え方は、
  その後数世紀に及ぶ教会の「正統と異端」をめぐる論争に強く影を落としていると
  いうことができると思います。

  教会は、使徒信経とならんでニケヤ信経を用います。
  それは、教会が、グノーシスに端を発しながら、
  使徒信経では対応することのできない異端的な見解をつきつけられたからに他なりません。
  ローマ帝国の政治をも巻き込んだ複雑でしかも長期に及ぶ「正統と異端」をめぐる
  神学論争に対応するために
325年にニカイアで第一回公(エキュメニカル)会議が開かれました。
  そこで制定された信仰告白を、聖公会ではニケヤ信経と呼んで参りました。
  祈祷書
167頁のニケヤ信経をご覧になりながら、お聞き頂ければ幸いです。

  ニケヤ信経では、先ず、
  使徒信経の(一)の「創造者なる全能の父なる神」に「唯一の神」が加えられています。
  
  第二に、使徒信経の(二)の「主イエス・キリスト」の前に
  「世々の先に父から生まれた」という形容詞が加えられており、

  第三に、「主は神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、
  造られず、生まれ、父と一体です」また「全てのものは主によって造られました」と
  いう二つの文章が加えられています。
  

  第四に、「聖霊によっておとめマリヤから生まれ」の箇条の前に
  「主はわたしたち人類のため、またわたしたちを救うために天から降り」と
  いう節が加えられています。

  第五に、使徒信経の(四)のポンテオ・ピラトによる十字架に関する箇条では、
  「陰府にくだり」という表現が削除されています。

  第六に、使徒信経の(八)の「かしこより来り」に「栄光の内に」という形容辞が加えられ、
  「その国は終わることがありません」という一文も加えられます。

  第七に、聖霊の個所では「聖霊は命の与え主、父と子から出られ、
  父と子とともに拝みあがめられ、預言者によって語られた主」という説明が加えられます。

  第八に、「聖なる公会」の前に、「使徒たちからの(「使徒的な」とする方が原文に忠実と思われる)
  唯一の」という一節が加えられます。

  第九に「罪の赦し」は「罪の赦しのための唯一の洗礼」という形に変えられます。

  第十に、「からだのよみがえり」は「死者のよみがえりと来世の命を待ち望む」と変更されています。

  只今確認いたしました、ニケヤ信経に認められます新たに拡大された信仰箇条の要点は、
  二つに絞ることができると思います。
  第一は、子なる神は、造られたのではなく、神から生まれたのであり、
  神と一体だ、という点です。これは、ニケヤ信経を生み出す背景の一つである
  アリウス派というグループによる、「キリストは神に造られた」のだと
  いう主張が誤りであることを示すために付け加えられたものだと言われています。

  このニケヤ信経の主張は、ヨハネによる福音書一章一節の
  「初めに言(ことば)があった」で始まる信仰理解に基づいたものだと考えられて参りました。
  「言(ことば)」をギリシア語でロゴスというところから、
  ヨハネ伝のこの個所に示される思想も、一般に「ロゴス=キリスト論」と呼ばれて参りました。
  「万物は言によってなった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」と
  ヨハネ伝の一章は続きます。

  創世記の最初を飾る天地創造の物語は、神が天地創造の初めに「光あれ」と
  言われたとなっています。その「光あれ」という言葉、
  あるいは思いそのものがロゴスであったとすれば、
  神と言(ロゴス)とが一体であるのは当然です。

  この言(ロゴス)とは主(キリスト)であり、
  また、「言の内に命があって、それは光であった」のですから、
  キリストが神と共にあったロゴスであり、世の光として、また命として
  この世に来たということにつながります。

  さて、ニケヤ信経に認められます新たに拡大された信仰箇条のもう一つの要点は、
  キリストの降臨と十字架・復活に関係しています。
  ニケヤ信経によれば、キリストは父なる神の言(ロゴス)、つまり神の思いであり、
  それが人間の形をとって人間の世界に来られたとされています。
  そして、人間の世界で救いの働きを為し、思いと言葉と行いを通して
  神のみ心を人間に知らせたのでした。

  しかし、闇に支配されている人間は、ヨハネの福音書によれば光を理解せず、
  キリストを十字架につけたのですが、それは父なる神のみ心でもありました。

  キリストの十字架は、人間の目には神の働きの挫折としてしか見るこができません。
  しかし、ニケヤ信経の観点からすると、キリストが十字架にかかったということは、
  神ご自身が用意された言(ロゴス)が、人間からの「捧げ物」として神に捧げられ、
  栄光の神はそれをお受け入れになったということなのです。

  主イエスが十字架にかかるということは、キリストが復活、昇天し、
  栄光の神に帰還したということであり、そのために聖霊の降臨も起こったということになります。
  このような、キリストの受け止め方を教会は伝統的に、「神のロゴスが肉の形で現れたこと」、
  つまり「受肉」と表現して参りました。

  そして、キリストの受肉によって、キリストは人間に神の思いを知らせ、
  人間が神の思いに添って生きる道を開いたと教えて参りました。
  そして、キリストの受肉によって、これまで断たれていた神と人間との交わりが、
  回復され、今も、聖霊を受けて派遣された教会を通して、
  神と人間との交わりが継続されているということを意味します。
  ニケヤ信経はこのような信仰を明らかに示すために形成されたのでした。

  ニケヤ信経に示される、人間に神の思いを知らせ、
  また、神の思いに添って生きる道を開いたキリストの受肉の働きを、
  教会はサクラメントと呼んで参りました。
  今日はそのことを指摘するに留め、次回にもう少し丁寧に
  それについてお話しさせて頂きたいと存じます。